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第七日 ― 主の卑しいはしため

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「わたしの魂は主の偉大さをたたえ、わたしの霊は救い主である神を喜びます。神は、そのはしための卑しさに目を留めてくださったからです。ご覧ください。今から後、代々の人々はわたしを幸いな者と呼ぶでしょう。」 ルカ 1:46-48

聖母が御子の十字架の前に立っておられたとき、「代々の人々」はその時を「幸いな」時と呼ぶでしょうか。賛歌の中でご自身が語っておられるように、御子の残酷でむごい死を目にする聖母は、幸いだったのでしょうか。

十字架のもとでの聖母の体験は、ひときわ大きな痛みと悲しみ、そして犠牲を伴うものだったことでしょう。それでも、その時はひときわ大きな祝福の時でもありました。十字架につけられた御子を愛をもって見つめながら立っておられたその時は、並外れた恵みの時でした。それは、苦しみを通して世界があがなわれた時でした。そして聖母は、この完全な愛のいけにえを自らの目で見届け、自らの心で思い巡らすことを選ばれました。これほど大きな痛みから、これほど多くの善を生み出すことのできる神を喜ぶことを選ばれたのです。

わたしたち自身の人生でも、困難や苦しみに直面すると、心の傷や絶望のうちに自分の殻に閉じこもりたくなりがちです。人生で与えられている祝福を、たやすく見失ってしまうこともあります。御父は、御子と聖母に痛みや苦しみを押しつけられたのではありません。しかし、御子と聖母がこの激しい迫害の時に身を置くことは、御父のみ旨でした。イエスは、その時を変容させ、あらゆる苦しみをあがなうために、そこに身を置かれました。聖母は、御子のうちに生きて働く神の愛と力の、最初にして最も偉大な証人となるために、この時に身を置くことを選ばれました。わたしたちもまた、十字架の前に立ち、それに向き合うよう招かれていますが、御父は日々、わたしたち一人ひとりを、聖母とともに喜ぶよう招いておられます。

上に引用した聖書の箇所は、聖母がイエスを身ごもってエリサベトに会いに行かれたときの言葉ですが、その言葉は絶えず聖母の唇にのぼっていたことでしょう。聖母は主の偉大さをたたえ、救い主である神を喜び、生涯に受けた数々の祝福を繰り返し味わっておられたことでしょう。ご訪問のような時にも、十字架上の死のような時にも、そうしておられたことでしょう。

今日、聖母の言葉とその心を黙想しましょう。今日、ご自分の祈りの中で、この言葉を口にしてください。今、人生でどのようなことを経験していても、その状況の中で唱えてください。この言葉を、神への信仰と希望を日々支える泉としてください。主の偉大さをたたえ、救い主である神を喜び、人生で何を経験しようとも、神の祝福は日々豊かに注がれていることを心に留めてください。慰めに満ちた時には、その中に祝福を見いだしてください。苦しみの時にも、その中に祝福を見いだしてください。神の母のあかしを、生涯の一日一日を生きる励みとしてください。

心から愛する母よ、ご訪問の際に神の偉大さをたたえて語られたあなたの言葉は、受肉の大きな喜びからあふれ出た言葉です。この喜びは広く、遠くまで及び、後にわが子のむごたらしい死を見守って立っておられたときにも、あなたを力で満たしました。身ごもられたときの喜びは、この最も深い悲しみの時に、再びあなたの心に触れたのです。

心から愛する母よ、わたし自身の生活の中で、あなたの賛歌にならうことができるよう助けてください。生活のあらゆる面に神の祝福を見いだせるよう助けてください。あなたの愛のまなざしのうちにわたしを引き入れ、あなたの愛する御子のいけにえの栄光を見ることができるようにしてください。

わたしの大切な主イエスよ、あなたはこの世で最も大きな祝福です。あなたこそ、あらゆる祝福そのものです。すべてのよいものは、あなたから来ます。日々あなたに目を注ぎ、あなたの愛のいけにえの力を十分に悟ることができるよう助けてください。この賜物を喜び、いつもあなたの偉大さをたたえることができますように。

母マリアよ、わたしのために祈ってください。イエスよ、わたしはあなたを信頼します。

第八日 — すべてにおける忠実さ

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