四旬節第3火曜日
「それから、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋上の胸壁に立たせた……」(マタイ 4:5)。イエスが受けられたこの二つ目の誘惑について引き続き思い巡らしながら、その場所の様子をもう少し詳しく考えてみましょう。悪魔はイエスを、神殿の胸壁という、この高くそびえる場所へ連れて行きました。胸壁は、神殿の平らな屋上の一部でした。そこは、律法の教師たちが自分たちの高い地位を示すために座る場所、すなわち、自分を高め、虚栄と高慢にふける場所でした。悪魔は、この虚栄によって昔の多くの宗教指導者たちを誘惑し、彼らは進んでそれを受け入れました。
栄光と誉れを象徴するこの高い場所がもたらしたのは、真の栄光ではなく、むなしい栄光でした。それがむなしいのは、このはかなく表面的な光に喜んで身を浸そうとする人々に、「この世の支配者」である悪魔が与えたものだったからです。
しかし、イエスはむなしい栄光には関心をお持ちではありませんでした。確かにイエスは、すべての人がご自分を神の子と知り、ご自分に立ち返って救われることを望んでおられました。しかし同時に、すべての人が、イエスは神であり、あらゆる賛美を受けるにふさわしい方であるという真理に基づいて、ご自分を敬い、あがめることを望んでおられました。これは、悪魔が約束していたむなしい栄光とは、まったく異なるものでした。
わたしたちは誰でも、他人の意見を気にしすぎるとき、むなしい栄光に屈しています。人々はわたしのことを何と言っているだろうか。わたしをどう思っているだろうか。わたしの評判はどうだろうか。このようなむなしい栄光は、真理ではなく、人々が抱く混乱した意見に基づいています。他人の意見は重要ではありません。大切なのは真理だけです。
わたしたちの真の栄光は、わたしたちがイエス・キリストによってあがなわれた罪人であるという真理のうちにあります。わたしたちは弱い者ですが、キリストにおいて強くされます。わたしたちは、羊飼いを必要とする羊です。わたしたちの人生に神の救いの恵みがなければ、わたしたちは何ものでもありません。これらの真理を認め、魂の力を尽くして信じるなら、この世の意見がわたしたちの価値や尊さを決めることはありません。大切なのは、キリストにおいて自分が何者であるかということだけです。わたしたちは神の息子、娘です。これこそが、わたしたちが自由な選択によって罪を犯し、神を拒まないかぎり、決して変わることのない栄光の源です。
悪しき者が、どのような形であなたを虚栄やむなしい栄光へと誘惑しているか、思い巡らしてみてください。ソーシャルメディアは、家族や友人と写真や人生の出来事を分かち合ううえで、とても役立つものになり得ます。しかしそれはまた、悪魔が虚栄によってわたしたちを誘惑する現代の手段を最もよく示す例の一つでもあります。「いいね」はいくつ付いただろうか。友達は何人いるだろうか。どんなコメントが寄せられただろうか。こうしたことを心配しすぎるとき、それは、神の御心において自分が何者であるかを知ることよりも、他人の意見を気にしすぎているしるしです。
栄光に満ちたわたしの主よ、あなたはこの世の栄光のむなしさには関心をお持ちではありませんでした。この世で耐え忍ばれた、誤った意見や裁きを少しも気になさいませんでした。むしろ、今も、これまでも、そしてこれからも永遠に変わらないご自身が何者であるかという永遠の真理、そのまことの栄光に余すところなくあずかっておられました。誤った意見や地上の栄光への誘惑を捨て去り、ただあなたのうちにのみ、自分が何者であるかを見いだし、栄光を見いだすことができるよう、わたしを助けてください。イエスよ、わたしはあなたを信頼します。
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